ミエコのこと

作家の川上未映子さんのことを一読者の私は「ミエコ」と呼んでいるのだけれどそれにはきちんとしたきっかけがあって、エッセイかなにかで妊娠を発表したあとファンからのメッセージで「ミエコー、赤ちゃんはペペロンチーノだけじゃ育たないんだよ!」というのがあって印象に残ったというものを読んで、カタカナでの“ミエコ”という色合いも、普段パスタばかり食べていることを当然のようにみんな知っていることも、その裏から滲み出る驚きの気持ちとか全部がその可愛らしい文章にまとまっていて、ファン全員がそう声をかけて妊娠を喜んでお祝いしたい気持ちだよって思った時から私の中で完全にミエコはミエコになったのでした。

私がミエコを知ったのは2007年の芥川賞受賞のニュース、直木賞は確か桜庭一樹さんで隣にいたミエコの紹介のされ方が「歌手としても活動しながら執筆して今回受賞」的なもので、ぽってりしたボブの見た目の可愛らしさから「歌手しながらで書いた小説か〜」という斜めからの印象が先行し、あまり好意的ではなかった。だってとびきりかわいくて歌も歌えてなおかつ小説も書けてよりによって芥川賞受賞なんて。と完全やっかみつつもあまりにも可愛かったので気になって調べたんですよね。そうしたらミエコのブログ「未映子の純粋悲性批判」がヒットして、歌手のブログはきっとライブの告知とか誰々とご飯食べたとか仲間最高みんなありがとーというのだろうと勝手に決めつけてクリックした日、私は今でも鮮明に覚えている。そこは文字の洪水、単語同士がものすごい勢いでくっついたり離れたりして、あっという間に文章になってしまったミエコの世界が、行くあてのない感情がただただ渦巻いていて、漫画のようにパソコンの画面から突風が吹いて私の概念を吹き飛ばした、あの夜のこと。

すごかったなあ、この人文章を書くために生まれてきた人だと一瞬で納得して、夢中でブログを貪るように読んだ。ブログというより随筆?コラムなのか、なんにせよ言葉のチョイス、それだけでもうわかることってたくさんあるじゃないですか。頭のてっぺんから指の先端までみちみちに詰まったセンス。それから多くのことを経験したからこそ生まれるマイナスな感情。弱者にとってただ寄り添うような、励ましではない優しさが溢れるところも、奢ることもなくかといって自虐でもなく、なんの偽りもないミエコがそこにいます。アンパンマンのようなテンションで「あ、見る〜?」と脳みそ取り出して見せてくれたような。だからもうその時から私はミエコが大好き。当時ブログを読んで泣いたなんて初めてだったんじゃないかな。

ミエコのサイン会に行ったのは今はなき六本木の青山ブックセンター、ミエコが登場するまでの時間、私は穂村弘さんの本を読んだりなどしていて、ミエコ登場ってなったときに存在のかわいらしさに立ち尽くし、そして「マルニ…マルニの似合う女がここに…」と呟いていた。トレードマークのぽってりしたボブ、ワンピースにカラータイツを履いて当時マルニの象徴でもあったおおぶりのモチーフがついたネックレスをしていた気がして、とにかくはちゃめちゃにマルニだった。今のように女性誌などに登場することもなかったので集まったファンは「自分、哲学かじってます」風の男の子や年配の方がわりと占めていて、確かに若い女子は少なかった。サインをしてもらうために並んでいて自分の番になった時、「まあまあこんなおしゃれな女の子が来てくれて、まあまあ」と言いながら私の名前とサインを書いてくれてその言い方がまさにエッセイから飛び出てきたようなまんまミエコだったので、私はいまだに忘れられない。

記憶が曖昧で時系列がごちゃごちゃかもしれないけれど、ミエコが情熱大陸に出たときのこと。あれはいつだったのか、確か長編小説「ヘヴン」を書いている時だったような?コジマの落書きを見たような気がするから。永井均さんを囲んでいたりもしたような。それから書けなくて逃亡もしていた。そして温泉宿にいるっていう。何より一番覚えているのが締め切り前でホテルに缶詰になっている時にミエコが着ていたTシャルにおっきく“JOY”って書いてあったんですよね、確か。胸からお腹まであるようなフォントサイズの“JOY”を身につけての「書けない辛い無理〜」ってミエコ、コントみたいだよ!なんでJOYを選んだの!とバックミュージックはYUKIのJOYが流れます、しゃくしゃく余裕で暮らしたーいってYUKIちゃんが踊っちゃうし。素でおちゃめすぎる。なんだかんだ言いながら、妥協することなく追求する姿っていうのはかっこよかった。「ヘヴン」はミエコの小説の中でダントツで好き。当時、よく本の話をしていた友人に「エリちゃん、百瀬、好きでしょう」って言われたの、すっごく覚えている。うん、確かにそうだったし、それを口にすることも許されないような気がしていたからドキッとした。

ミエコの本で特におすすめしたいのはやっぱりエッセイ、未映子の純粋悲性批判をまとめた「そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」、「安心毛布」、「魔法飛行」かな。
デビュー作の通称そらすこんはとにかくミエコが濃ゆい、ときに吐きそうになるくらい感情か詰まっていて、ミエコという人がどういう人なのか一発でわかる本。安心毛布は「わたしであり、あなたでなくちゃ」を読むためだけに買っていいとも思えるほど、幾度となく手を差し伸べて救い上げてくれた。これからも何度だって読み返すという確信しかありません。

誰が足を止めて(この場合、手なのか?)くれるかわからないようなネットの世界で、ブログのタイトルに「ハロー!殺気立ってる?」なんてつけちゃうミエコのこと、ここまで崇拝しちゃって当然でしょう。一般常識から外れるとか奇を衒うなんてこと、ファッションや文学、自分の存在意義までにも侵食し、まあまあ混沌とした世の中だけれど、今となってはちょっと変わってるくらいでは注目もされず、いきすぎちゃう人だって山ほどいるし、でもそこに心があまり動かされないのは“変わったことやって注目集めよう”的な魂胆がどうしたって見えちゃうから興ざめするのであって、文章なんて特に“ここでグッとくるでしょう”的なミーティングを彷彿とさせる一文が改行後にバーンときたりするとびっくりするくらい白けてしまう。私は。でもミエコの文章は、根底にそういう思いがあることを感じさせられない。一般的にはすっごい偏っていたり、今までくっつけられなかったような単語たちを組み合わせちゃったりしてるんだけど、ミエコにとってはナチュラルで多分真顔でマジで言ってる。本人なんか変なこと言おうなんて一ミリも思ってないのに、赤裸々にそらすこんみたいな文章書けちゃうのってこれぞ才能だと私は思うのです。

インスタでミエコがマルニの袋を持っていたのを発見したとき、思わず声が出た。ミエコのマルニ、正しいマルニ、最強かわいい。

 
 

私にとってもはや薬。孤独との戦い方の答えがここに。
なくてはならない安心毛布。

安心毛布 (中公文庫)

最近読み返してグッときたのは「観察をつづける」
何か困難があったとき“そこから何を学べるか”と考えることを、“人生に疑いもなく前方があると信じている人間が考えそうなことですね”と一蹴。そう、その違和感を消化出来ずに困難を苦しいということさえも否定されているような。でもそうじゃない人だっていてもいいんだ。見方を変えることで変化させられる。改めてミエコの懐の深さを思い知る本。

魔法飛行 (中公文庫)

エクスクラメーションマークとクエスチョンマークは猫をお尻のほうから見た模様だということを知っていますか?上は尻尾、下の黒丸はお尻の穴なんだよ、ってことを教えてくれたのはミエコのそらすこんでした。

そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります (講談社文庫)

そらすこん収録の「未映子の純粋悲性批判」の中でも欠かせないのは「フラニーとゾーイーでんがな」と「私はゴッホにゆうたりたい」、いまでもWEBで読めるのでぜひ。サリンジャーのフラニーとゾーイーが関西弁になることによって自分の中で形成されていた今までの二人があっという間に消し飛ぶ方言という力、脳内大混乱からの爆笑間違いなし。フラニー、ほんまやで。それからゴッホに語りかけるのはいつ読んでも私は泣いてしまう、な、な、と続くゴッホへの共感と優しさ。ここに詰まったミエコの想い、この透明なキラキラしたものを手のひらに乗せて何度だって角度を変えて眺めていたい気持ち。そしていくつになっても視界を曇らせることなく、ゴッホへの文章に涙腺が緩むような人間でいたい。

誰も彼も書けないような文章を、まるで息を吐くかのようにごく自然に綴ってしまうミエコの尊さ、私はいつだって憧れてしまうのでした。

 
 
 
 

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