何者にもなれなかった私へ

15歳の頃の話。「あの高校に受かったら髪の毛染めていいから」と言った母の言葉を信じ、中3の夏に部活を引退してからものすごく勉強して無事志望校に合格した。もっとなにかあっただろうと思うけれど私を頑張らせたのは髪の毛を染めたい、受かったら染めていいという小さな自由だった。癖毛で絡まりやすい髪の毛が好きになれなくて、茶色くしたら少しは変わるだろうと思っていた。滑り止めで受けた私立は校則がものすごく厳しい上に制服もイマイチだし、どうしても通いたくなかったのでひたすら勉強した。そうして合格がゴールだった私はすぐ髪の毛を染めファッション誌を読み漁り、勉強なんて一切しなかった。今までのようにテスト前にちょっと復習したくらいじゃ追いつかず、気がついたときには信じられないくらい理解出来なくなっていて、私はその事実を受け止められなかった。そりゃそうだ、勉強が得意な人たちが毎日どんどん学んでいく横で勉強が特に好きじゃない私が遊び呆けていたのだから。
16歳の私は挫折を認めることが出来ず、勉強することをやめた。もうこんな思いはしたくない、学歴なんて関係ないクリエイティブな仕事がしたいという理由で逃げた。ほどほどに頑張って真ん中あたりを目指すとか、下の方でも落第しなければいいじゃんとか、そもそも元気であれば大丈夫などと「出来ない私」を許してくれるような環境ではなかった。大きな期待を背負っていたんだと思う。周囲が優等生じゃなくなった私にがっかりしていることはわかっていたし、好奇の目を向けられていることが耐えられなかった。そして誰よりも自分が自分にうんざりしていた。でもきっとそれを認めたくなかった。だから逃げるように東京に出てきたのが18歳の春。

専門学校に行ったり色々目指そうと頑張ってはみたもののどうも的を得ず先が見えなかった。そのことに疲れてしまい、一度全部やめようと決めて就職することにした。未経験でギリギリ探せるくらいの年齢だった。やったこともない仕事で目が回りそうだったけれど、自分のデスクがあり名刺やアドレスを与えられ給与からの天引きも含め組織に属しているという安心感を初めて知った。数年がすぎた頃、消化しきれていないアパレルの仕事がしたいという思いと、単調な仕事とどこにでもある組織のいざこざに個人的な感情が自分の中で膨らみ上がり、体調を崩した。いくつもの病院へ行き、科をたらい回しされたり、よくわからない検査も山程受けた。あの時期のことは正直思い出したくない。誰とも苦しさを分かち合えず、一人で戦っていた。孤独だった。一日が長く、憂鬱だった。
それからどうにか復職したものの、気力が持たずに結局退社し、アルバイトなどしながら数カ月ぼんやり過ごした。新しい環境は色々紛らわしてくれるけれど、慣れてしまうと退屈になってしまう。どうにかしなければと探し始めた矢先、アパレルのメーカーで働くことが決まり飛び上がるほど嬉しかった。だって自分の担当にはセレクトショップの名前があり、大手百貨店から電話がかかってくる毎日。誰も見ていないところでにやけてしまうくらい、その世界に触れていることが唯一の喜びだった。

とはいえ人間の欲はとめどなく、自分がこの世界で本当にやりたかったことは今やっていることじゃないし、夢を叶えている人たちが羨ましく、私はどうしたらいいんだろうという不安の渦にはまり、また具合を悪くした。月曜から金曜までという範囲ではなく、もはや朝からしんどくて夕方までもたないという生活が続き、もう組織で働くのは体力的に無理だと考えて退社した。セレクトショップの人から自分へ電話やメールが来なくなるということが寂しかった。どうしてもアパレルの世界にいたかった。

そこからはアルバイトをしつつ、の生活だったのだけれど、ふいにチャンスが舞い込むことになる。そうだ、こういう仕事がしたかったのだ、私はここに辿り着くまで今までの様々なことがあったのだ、無意味にしたくなかった我慢の結果がここなのだと信じ、心から真剣にのめり込んでいった。違和感は最初から感じていた。けれどそんなのも無視した。長年夢見た世界でしたい仕事をようやくしているんだから、そんな小さな違和感なんて関係ない、と強気に振り払った。やりたかった仕事に関わっている自分をどうしても肯定したかった。楽しさや喜びだってもちろんあった。それでも違和感は日々大きくなり、いつしか負荷を与えるものになっていた。どう考えても傷ついていたし、間違っていたのにそれを認めてしまえば夢も手放すことになる。だからどうにかこうにか誤魔化すために色々試した。自分の立ち位置を試行錯誤し、どう振る舞えば自分が認められるのかを考えた。さも楽しげに満たされる自分を演じ、バカなふりをすることでだってバカだから仕方ないんだと自分を納得させたりもしていた。誰かに相談してしまったらバリアが壊れるというのがわかっていたので、いつからか誰にも相談出来なくなっていた。誰に牙を剥かれてもいようにいつも身構えていた。決定的に体調は壊さなかったけれど、不眠がひどくなり、眠れても気味の悪い夢ばかり見た。ずっと走って走って苦しくてやっと辿り着いた広場にはびっしり虫が並んでいて飛び起きたこともあった。認めたくなくてもそういう現実だったんだと諭されている気がした。それでもそんなはずないと信じていた。16歳の私が諦めさせてくれなかった。勉強も出来なくて、やっと憧れていた仕事につけたのに、それもやめるの?今逃げ出しても行くところなんてないよ?と問いかけてきた。もはやアパレルがどうのという域を越えていた。表面張力ギリギリで耐えていた。

限界というものは急にきたわけではなく、たった一滴で崩壊した結果だった。いつかはそうなるだろうなと薄々気づいてはいたけれど、このタイミングなのかとがっかりした。まだ何も成し遂げていないのに。混乱してパニックになった私は自分を責めることしか出来なかった。こんなふうになってしまってはダメだ、なにもかもが台無しになってしまう、ちゃんとしなければ、と泣きながら白々しい嘘を並べていた。過去の自分を肯定するためにはそうするしかなかったのだ。それも一時的な対処方法でしかなく、翌日も涙が止まらず呼吸がしにくくなり、寒気が止まらず顎が震えた。今までそんなことはたくさんあったけれど、今度は顔面が痙攣しはじめてしまった。これはもうダメだと認めざるを得ない状態だった。どうにかしなくてはとそこで初めて友人たちと父にSOSを出した。わずかに指先が迷っていたけれど、もうそうするしかないと奮い立たせた。つながるまでの数分は信じられないくらい空白だった。それでも連絡してしまったのだからどうにかなるわけにはいかないというただその思いだけでiPhoneを握っていた。
崩れた私に驚きながら辛抱強く話を聞いてくれた友人たちの優しさにどれほど救われたことだろう。メッセージは幾度となく読み直した。順調にうまくいっていると思っていた父は、私の様子に驚いて二日後には東京に出てきてくれた。あれだけ必死に頑張っていても、ダメになった時に支えてくれたのは日々私が何も提供していない人たちなのだった。みんな弱った私を価値のないものと扱わなかった。ただ心配してくれたし、みんなどこかで知っていた。私が言い出さなかったからそっとしておいてくれたけれど、無理していたのは一目瞭然だったようだ。

自分を苦しめるのはもうやめよう。そう決めてからはなにもかもが早かった。夢だったはずの仕事はあっという間に手放したし、逃げ出すようで多少気が引けたけれど無理して続けてもっと苦しくなって命でも落としていたらそのほうがよっぽど迷惑なはずだ。それに私じゃなければ出来ない仕事なんてここにはない。ずっと気づいていたことだった。父はゆっくり休めと言ってくれたが働いたほうがきっと気が紛れるだろうしそんなすぐに見つからないと覚悟していたので早々に転職活動を始め、5社に応募し2社面接まで辿り着いた。アパレルとは全く関係のない平穏なアルバイトもしていたのでそっちは続けていたけれど、就職するからやめたいということを上司に話した時に「なんとなくそうなると思っていました」と言われてしまった。やめて新しい環境へ行きたいという私の意志の強さを知りながら、「なんとしてでも引き止めたいからもう一度考えてください」という言葉をくれるような上司の元で働けたことが救いだった。そうだった、いつもここは誰も私を攻撃してこないシェルターのような場所だった。手放すことに不安はあった。けれど、もうとどまるわけにはいかなかった。

翌週に面接を控えた週末手前の3日で一人旅へ行った。どこか行きたいところがあるわけじゃなかったけれど、違うことがしたかった。旅の工程は気を紛らわしてくれる。それから一人旅っていうのは自分しかいないから自分がしたいことだけをする旅なのであって、自分の気持ちを最優先していいという素晴らしさを初めて知った。私は他の誰かの気持ちばかり気にして、自分の突発的に湧き出る感情なんてどこにしまっていたかも忘れていた。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。それでいい。
旅館の食事というシチュエーションも一人だと妙に特別なものだった。カウンターで店主のおじちゃんと話しながら食べた昼食もおいしかったし、いくつもソフトクリームを食べた(欲望に従って)。みんな優しかった。それから人のいない海へ行ってバカみたいに泣いたりもした。世界はこんなに広いのにと文章にすると聞き飽きたようなことを実感して、さらに泣きじゃくった。過去の自分が間違っていたと認めるのは難しいことなのだ。考えようによっては正当化出来てしまうし、頑なにそれでよかったんだと丸め込むことだって一つの方法だろう。でも二度と同じことを繰り返したくなかったから私は認めることにした。どんな理由があったにしても、こんなになるまで我慢してしまった私が間違っていた。帰り道は妙にスッキリして、なんだか早く東京に帰りたかった。

そして二日後に面接に行き、第一志望だった会社ではまず適性検査のテストをさせられて、これはダメだと半分笑いながら諦めたあとに面接したらアルバイト先の上司との面接を思い出させるような良い雰囲気でそう思えるところに入れたらいいんだけどダメだろうなと思いつつ、あまりすぐ次を探す気にはなれなかった。もう一つの面接は始まる前から帰りたくなるくらい合わなかった。
数日後、やはりやめますという意志を伝えた時に上司は「応援します」と言ってくれて泣きそうになった。今までだって気持ちが揺れなかったわけじゃなかったので本当にやめていいのだろうかと改めて不安になった直後、電話が鳴って一社目から採用になったと伝えられた。手放せば入ってくる。タイミングが良すぎて他人事のようだった。それから今まで経験したことのないようなことばかりだった。丁寧に条件が提示され、分厚い上質な紙で採用内定通知書までもらってしまって私は途方に暮れた。提出する書類が多すぎてまだ面接が続いているような気がした。たった一ヶ月であまりにも変化しすぎている。そのことが怖くなったりもした。だから今度はまわりの人たちに話を聞いてもらった。心配性で臆病な私をからかいつつも一緒に喜んで励ましてくれた。みんな味方だった。おかげで入社日までの一ヶ月弱で、冗談のように体調とメンタルが回復していった。まさに本でも書けるかと思ったくらいだ。

人間の恐ろしいところは、スイッチを切るように何もかも洗いざらい忘れることが出来ないということ。あの頃からもう半年くらいたつけれど、未だにイヤな夢を見て飛び起きることだってあるし人の表情を気にして疑ってしまうこともある。そんなこともうしなくてもいいと頭ではわかっているはずなのに。それでも前よりは自分の気持ちをきちんと聞くようにしているし、もちろん楽しいことばかりじゃないけれど、比べものにならないくらい穏やかに過ごしています。

 
新しい職場はひどくきっちりしていて、コンプライアンスの徹底にもほどがあるだろうという教科書のような世界だった。規則の細かさはこれぞ日本の企業というイメージ。
入社直後はそんな余裕がなかったけれど、しばらくたつとまわりがどんな人たちなのか見えてくる。その時にふと思い出したのは、「あれ、この空気は高校と似ている」ということだった。みんな真面目で頭の回転が早く、学び続けることが日常で難しいことを淡々とこなしていていく。相手のことを詮索しないけれど気にはなる。横柄な人はほとんどいない。そして私が一番何もわからない。ああ、デジャヴだと気づいた時に不安がよぎった。私は進学校で叩き潰されて違う道を選択したのに、回りまわってまたわけのわからない資料と聞き取れない会話に冷や汗を流している。そして、また出来ない自分にがっかりしている。
これはどうするべきかとわりと真剣に悩んだ日。ずっと勉強し続けてきた人たちには絶対かなわない、開き直るか?それとも今から必死で勉強して少しでも彼らを目指すか?と悶々としていたときにふと「私は彼らのようになりたいのか?」という疑問が思い浮かんだ。そして答えは、彼らのように優秀になれなくても今の自分がいいかもな、というささやかな自己肯定だった。いろんな場面を乗り越えてきたからこそ思えた結果なんだと思う。そしたらひどく楽になった。15歳の私が見い出せなかった答えに20年かかってようやく辿り着けた日だった。なんだ、このままの私でいいんだ。

今は働き方も色々選べるし、なにが自分に合うかも選択出来る時代。私にとっては企業の中にいることが意外と働きやすいんだなと実感した。規律を乱す人に振り回されることがなくなった。今となっては社内できっと私が一番不真面目だ。けれど誰かに怒られるレベルではないし(多分)、仕事は出来る範囲で一応している(はず)。気難しく不器用な彼らのことはなるべく理解しようとはしているけれど、出来なくても大丈夫。少なくとも一ヶ月後は今より何かわかるようになっているだろう。自分の価値を疑う必要なんてこれっぽっちもない。他人の価値を握りつぶしてくるような人もいない。もしも影で私のことを笑うような人がいたとしても、今なら全然跳ね返せる。

何もかも失うと思ったけれど得るもののほうが大きかった。今回のことを記事にしようと思ったのは、今日もどこかで誰にも相談できずに我慢し続けている人がいるはずだから。あの時の私のように。いろんな人に話をして相談していればよかったと本当に思った。そうすればもっと早く自分で自分を苦しめていたことに気がつけたのに。だからもし今の環境で悩んでいる人がいたら、苦しい思いを抱えたまま破裂してしまうことのないよう、どうか誰かに聞いてもらってほしい。親しい人に話せなければ全くの第三者でもいい。一から説明しようとすると必然的に冷静になれるし、何が起こっているかが自分でもよくわかる。言葉にまとめて声に乗せて吐き出すと、思っている以上に毒素が流れ出すことがある。何かの責苦を受けている状態を当たり前にしないで。

色々間違えたし後悔もあるけれど、「でもあの時すごく一生懸命だったんだ」と言った私に、友人は「知ってる、だってすごくキラキラしてたもん」と返してくれた。そのことですごく救われた。頑張ってよかったんだなと思えた。今の状況だって数年後には変わっているかもしれないし、また選択を間違えてしまうことだってあるかもしれない。それでもいつだってひたむきに、自分のペースで進むことが必要なんだ。
誤解を招かないよう注釈をいれておくと、アパレルの仕事は想像以上に楽しかった。物作りに自分の意見が反映される喜び、出来上がったものに対する愛情、それを気に入ってくれた人たちを目の前にしたあの高揚感。だからここまで自分を引き止めてしまった。ただ残念ながら私の居場所ではなかったということだけ。歯車が噛み合わないままでは前に進めない。
それから自分を卑下することでバランスをとっていた私を変えてくれたのは、弱りきった私を前にしても態度ひとつ変わらなかった人たちがいたからだろう。ダメな私をさらけ出しても、がっかりされないことがこんなにも安堵をもたらせてくれるなんて知らなかった。そのことが私を強くさせた。もう何者にもなれなくても、大丈夫。

今回たくさんの言葉をかけてもらい、人の優しさと温もりを感じました。私もいつか誰かにとってそういう存在になりたい。恩を返すというのは多分そういうことなんだと思う。この感謝の気持ちを忘れずに、毎日ほがらかに、ゆるゆると生きていくつもりです。
ブログも生活が落ち着かずになかなか更新出来ませんでした。何かあると私は一番最初の記事をいつも読み返します。もう8年も前になってしまっているようで、驚いてしまう。変化はたくさんあったけれど、この頃から根本的にはあまり変わっていないと思う。もちろん今だってファッションが好きだし、本はいくらでも読みたい。昔のような文章が出てくるかどうかはもうわからないけれど、だいぶ疎かにしていた書くことも鍛えていかなくちゃ。またここで少しずつでもページを増やしていきたいな。

季節が変わる気配がするたびに満たされていない自分に怒りを感じ、同時に押し寄せる不安の波に飲み込まれ、抵抗することもいつしかやめてただ漂っていたような日々。うだるような暑さがようやく影に潜むようになり、風が含む湿度の明らかな違いを実感するようになったこの頃、たったそれだけのことでも嬉しくって笑ってしまう。こんなにのびのびと毎日を過ごせるなんて、想像もしていなかった。これからどうなるのかな。きっと色々あるだろうけど、どんなことだって乗り越えられる気がする。

やっと秋の存在が濃密になった夜に綴る、心が晴れるきっかけになった春のあれこれです。
何者にもなれなかった私へ、記録として。

 

2件のコメント

  1. この文章を読むことができて良かったと感じます。
    ありがとうございました。

    私も、あなたも、これからも乗り越えていけると良いですね。

    1. たくさんのことがありましたが、自分らしくいられる生活をすることが嬉しいことなんだと実感しています。ようやく記事にすることが出来ました。読んでいただけて嬉しいです。コメントもありがとうございます。

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